3月11日で気が付いた事
今日で3.11東日本大震災から6年目になります。
今日は午前中からお客様宅で手すり取付を致しました。暖かいようで寒い1日だったと思います。
さて、私にとってもやはりこの3月11日は特別な日です。
私は震災の時に福島県須賀川市にいました。
この日は同業の会社さんで研修会を企画し、社員2名と一緒に訪れていました。
ここは震度6強で揺れた場所です。
地震の時には訳が分かりませんでした。
目の前でガラスが割れめちゃめちゃになった室内を眺め、それが現実のものなのかと夢見心地だったのを覚えています。
落ち着いてからは周辺の家を歩いてガスを止めたり
歩けないところも沢山ありました。
建築の資格を持っていたこともありますが、それまでの「耐震」という知識では収まらない多くの状況を目の前にしました。
具体的には、これだけ地割れしてしまったら家はどうなるのか?
という「地盤」の問題です。
建築士の範疇では、構造的な事はやっても、地震で地盤が受ける被害が建物にどのような影響を及ぼすのか、ほとんど学ぶことはありません。
したがって、地盤が被害を受けるとお手上げになってしまうのではと感じました。
須賀川でも多くの事例を目にしましたが、そこで現地の友人が取った方法は、「曳家」さんの知恵を借りる事でした。
この曳家さんは愛知県に会社があるのですが、縁あって知り合いになり、その後東北に何度も訪れるようになります。
沈下した建物を基礎から切り離し、土台ごと持ち上げて正しい位置にします。
私もなんどか現場を訪れ、すごい仕事だと思いました。建物の傷み具合を見ながらすこしづつ上げて行くわけです。
その後八戸で同じような家の傾きや沈下に悩まれているご相談を受け、愛知県からお呼びしました。
床下に一緒に入りましたが、大変な仕事です。
この方たちと知り合って、縁あって私の建築の師匠が曳家さんを探していると相談を受けました。福島県の猪苗代町での蔵再生プロジェクトに腕のいい曳家さんが必要だと言うものです。
私は自社での仕事ぶりでもそのチームワークに感心していたこともあり、すぐにご紹介しました。
その蔵プロジェクトは、建築学会賞も受賞する復興プロジェクトに繋がりました。
震災をきっかけに、単なる水道工事屋さん、リフォーム屋さんから、
建築を違う目線で見るようになった気がします。
それは、建築は、そこで生きる人に寄り添うものだと言う事です。
震災から3か月ほどして福島市の同業の仲間を訪れた時にいわれた一言が記憶に残っています。
「放射能の問題とかいろいろあっても、うちらはこれまでのお客さんも含めて、ここに住む人がいれば逃げるわけにはいかない。避難するのは一番最後」
一方で震災後に逃げ出したリフォーム屋さんのうわさも耳にしました。
判断はひとそれぞれですが・・・
自分はどうありたいのか、
自分の姿勢を改めて考える一日となりました。
お客様の立場に立って考える事。簡単な様で難しいです。お家のお困りごとを理解して、最後の最後まで考え抜き、手をつくす。この人と出会えて良かったと感じて頂き、一生のお付き合いができるよう心掛けています。
店長日記
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